フェルナンド・ポルシェ博士とポルシェの設計思想
ポルシェ社の創始者である、フェルディナント・ポルシェ博士は、1875年に北ボヘミア(現在のチェコ西部)生まれ、職業訓練校で学んだ後、やがて1894年、首都ウィーンに出てから、自動車への関心を持ち、ヤーコプ・ローナー社で、自動車開発を手がけることになります。
1900年、電気自動車を考案しています。
1905年にはダイムラー社関連会社に移籍し、主任技術者として、国際レースにも参加しました。
1923年、ダイムラー社、技術部長兼取締役に就任し、「メルセデス・ベンツ」の高性能乗用車やレーシングカーを多数手がけました。
しかし、意見対立で1928年にダイムラー・ベンツ社を退職し、1931年、設計とコンサルティングを行うポルシェ事務所を設立しました。
もう既に、省エネも考えていたのですね。
第二次大戦の前、ヒトラーが、天才的な自動車の設計者フェルナンド・ポルシェに依頼したものです。
強い構造を持つモノコック構造の玉子型、エンジンの耐久性を増すピストンスピードを低くしたリアに積んだ水平対抗の空冷エンジンなど、ポルシェの信念が表現された車です。
第二次大戦中には、ティーガー戦車等の戦闘車両の設計にもかかわりました。
そのため、ドイツ敗戦後の1945年、戦争犯罪人として逮捕され、健康を害したのですが、息子フェリーが保釈金を支払い、1947年に釈放されました。
戦後、1945年から本格生産を開始したフォルクスワーゲンと1948年から生産開始されたポルシェ・356の成功を見届けた後、1951年に75年の生涯を閉じました。
フェルディナント・ポルシェには、生涯の夢が三つありました。
一つは、すぐれたレーシングカーを作ること、第二は、大衆のための車を作ること、第三の夢は、農民のために効率の高いトラクターを作ることでした。
ほとんどの夢を実現して、この世を去りましたが、死後、自動車殿堂(1987年)、及び国際モータースポーツ殿堂(1996年)入りしています。
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